2019シンポジウム 開催報告

日時:2019年1月22日(火)18:00~19:20  会場:新宿パークタワー 8階ラウンジ

シンポジウム
作品総評に見る「住まいの環境デザイン」

2019年1月22日、住まいの環境デザイン・アワード2019 〜首都圏〜 シンポジウムを開催しました。
〈作品総評に見る「住まいの環境デザイン」〉と題し、上位3作品の受賞者によるプレゼンテーションと、審査員による作品の総評を行いました。

〈審査員〉
※敬称略、50音順
東 利恵(建築家/東 環境・建築研究所 代表取締役)
宿谷昌則(建築環境学者/東京都市大学教授)
末光弘和(建築家/SUEP.代表取締役)
千葉 学(建築家/東京大学大学院教授)
三浦祐成(新建新聞社 代表取締役) ※シンポジウム欠席
〈受賞者〉 グランプリ(1作品) :「五本木の集合住宅」仲 俊治+宇野悠里(仲建築設計スタジオ)
準グランプリ(2作品):「稲村の森の家」藤原徹平(フジワラテッペイアーキテクツラボ)
            「観察と試み—標準的な木造一軒家を60代の一人暮らしである施主が開く—」
             西田 司+神永侑子+鶴田 爽(オンデザインパートナーズ)
〈進 行〉 木藤阿由子(エクスナレッジ『建築知識ビルダーズ』編集長)

作品プレゼンテーション&講評

グランプリ受賞作品

「五本木の集合住宅」

仲 俊治+宇野悠里(仲建築設計スタジオ)

作品プレゼンテーション

東京都心の3住戸からなる木造地上2階建て集合住宅。「住む」と「働く」を一緒にした3戸が長屋的に連なる構成にて、人や自然に親和的な生活環境がつくれるのではないかという期待に対し、どのように形を与えたかの取り組みが語られた。
クールスポットの効果を生む3箇所のグリーンルーバー、内と外の中間領域となるスタジオ(仕事場)、雨を小分けに集めるギザギザ屋根や天水桶、夜でも換気ができる高窓など、住宅の複合用途からディテールまで含めて、様々な実験的デザインを1棟の中でバランスさせている。グリーンルーバーについては温度計測の結果も披露され、「気持ちがいいから外に開いていく」こと、それが「自然の力で支えられていることが重要」と感じたことが述べられた。
「部分である建築だけにとどまらず、これがもう少し連鎖していくとまた変わってくると思う」と、都市にもたらす可能性についても言及された。

講評

お話をうかがっていろいろな側面でのポイントがあったと思います。今回、7つ審査基準がありましたが、その中の基準のポイントのいくつもが、この集合住宅の中ではバランスよく配分されていたのが非常に良かったと思っています。そういう意味では、雨水から緑(グリーンルーバー)まで、つまり水が雨水から戻っていくところまでを、環境の負荷を下げながらうまく利用している点や、グリーンルーバーをつくって、それぞれの住居が道路との間に対して大きく外溝を設けて、グリーンによって中間領域をつくっているところも非常に良かったと思います。私がいちばん楽しいと思ったのは、生活に対する提案で、仲さんたちが実際にこの事務所を使っていらして、そこに子供達が帰ってきて、仕事場を通り抜けて上の住宅部分に行くことができるような動線が、人の中で子供達が育つ環境づくりをしている設計であり、そこを私は高く評価しました。

プレゼンテーションを拝聴して、僕の観点から2つのことを申し上げます。
ひとつは、最寄り駅の周りはかなりごちゃごちゃしていて、大きな通りからちょっと入ったところにこの住宅はあります。東京の暮らしに慣れている人が考えると、例えば自然をこういう都市の中で利用するといっても、話としては分かるけれど無理なのでは、となってしまって、おそらくひとつひとつの空間にエアコンつけて冷暖房すれば、それがいちばん簡単だとなりがちです。ところが僕が非常にいいと思ったのは、そういう方法ではなくて、このような環境の場所でも開くデザインができるということに実際にチャレンジして、しかもそれが本当に開かれたデザインになっているところです。そこに僕はとても感銘を受けました。
もうひとつは、このグリーンルーバーが、これから来年再来年とずっとうまく育っていくと、すごく充実したいい空間になると思います。雨の話をされていましたが、要するに、雨は植物が吸って、自分の体として葉っぱの一部になるのです。6個の水分子が根っこから、6個のCO2分子が周りの空気から入ってグルコースの1個になると、生物の教科書に書いてあります。ところが教科書には、グルコースになるのが6個の水分子だということが書いてあるだけで、蒸発するときに30~40℃も温度が下がることについては一切書いていません。ということは、もしこれがプラスチックでフェイクの緑の葉だとしたら、60℃〜70℃になってしまいます。それを35℃くらいにするには、どれくらいの水が蒸発したらいいか、それはだいたい100倍なのです。要するに、100分の1だけが葉っぱの自分の体になって、残りの99%は、全部根っこから空間の中に流れていくだけなのです。だから光合成と言うよりも、水合成と言った方がいいぐらいなのです。そういうものを都市の中のスポットとしていろいろつくっていき、さらにそれがつながってくと、いい空間ができて、もっと皆がちゃんと開けるようになるのではないかと思いました。

準グランプリ受賞作品

「観察と試み—標準的な木造一軒家を60代の一人暮らしである施主が開く—」

西田 司+神永侑子+鶴田 爽(オンデザインパートナーズ)

作品プレゼンテーション

1960年代に建てられた一軒家の改修プロジェクトとなる。一人暮らしの建て主はITセキュリティ分野の研究者を務めており、自身がテーマとする「プライバシーと社会のつながり」がそのまま本作品のテーマにもなっている。
街に閉じた印象だった改修前に対し、改修後は敷地の輪郭をぼかすように塀を取り払う、一部を減築して土間をエントランスにする、などの造作経緯が述べられた。
こうしてできた1階に対し、「まるでスタジオのよう。近所で誰もが知っているリビングになった」と建て主が感じていることや、庭先でのご近所とのやり取りなども語られ、「お互いがつながりを持ちながら生きることの安心感や、開きたいときに開ける関係性が、もう少し人間らしい建築デザインにつながらないか」という期待でプレゼンテーションが締めくくられた。

講評

築60年の住宅をそのまま使い続けるという判断が、本当に妥当かどうかと心配になるところは正直あります。でも、既存の家をほとんど丸裸にした状態から、断熱性能や防水など、さまざまな観点で改修したことは非常に勇気のある判断だと思いました。コストの面でもおそらく新築にするのとほぼ変わらないにもかかわらず、やはり既存住宅を残そうとしたことは、住宅の寿命が短い日本において非常に強いメッセージ性があり、それがいちばん印象に残ったところです。
それからもうひとつ、私たちが行った時に建て主から伺って興味深かったのは、「不在の時にはいつもカーテンを開けています」という言葉です。それはプライバシーに対して象徴的というか、住宅はどうしても閉じがちなのですが、むしろ開けて皆さんに見てもらっている状態こそ一番安心できるということを実践していて、そのように、プライバシーに対して実験的に取り組むことが丁寧な読み取りによって実現されているところに、大変感銘を受けました。本当に素晴らしい住宅だと思います。

この作品は、上位3作品の中で唯一リノベーションです。いまストックの時代で、リノベーションが増えてきている中で、通常は既存のものをどうするかを考えますが、これは引き算をしているのが非常に特徴的です。高度成長期においての豊かさは、なるべく自分の陣地というか領地、つまり占有部分をいかに広くするか、どう囲い込むかという豊かさの定義があったと思いますが、年を取られてこれからもう定年されるという建て主が住まわれる時に、そうではなくて、それをもう少し引き算していくと光が入ってくるじゃないか、風も入ってくるじゃないかという考え方です。そして自分の生活を開くことによって、もしかしたら孤独死のような問題もなくなってくるということを実際にこのように捉えるという意味でも、非常に示唆的で、上位3作品の中でもいちばん実験性の高い住宅だったのではないかと思って評価しました。

私が昨年まで暮らしていた「塔の家」は、ある意味開いているのですが、実際には階高が少し上がっていたりして、外の気配があまり感じられないのです。住人が明かりを定期的につけておいて、人の気配を街に伝えるようなことをしているという意味では、この住宅と似たような考えなのかもしれません。
今住んでいる家が、両親のために改装した家で、どんどん閉じていって、外の気配が見えなくなっている家なのです。おそらくどうやって街との関係ができているかによって、開くということがプラスであったりするのだと思いますが、例えば、夜になると誰も通らないような場所だとすると、開いていることがかえって、年を取ると心理的な不安を感じることになるのかもしれません。閉じることは簡単なのですが、開くことは勇気がいるということは、とてもおもしろいことだと思いました。 
築60年ということは、おそらくかなり古いと思います。たとえ断熱性能が悪くても、木材や材料に恵まれて大工さんが丁寧に作っていた時代のものを大事にしていることも、価値があるのではないかと思います。

準グランプリ受賞作品

「稲村の森の家」

藤原徹平(フジワラテッペイアーキテクツラボ)

作品プレゼンテーション

背後に森を控えた鎌倉の山に建つ住宅。震災を機に、元々都心居住だった建て主が家のあり方を考え直したいとコンペの希望が届いたきっかけや、プロジェクト序盤に家族・土地の人・森と一緒に暮らしていく方向性や、次の世代が家や暮らしを住みつないでいく可能性を建て主と一緒に考えたという経緯からプレゼンテーションがスタートした。
元駐車場を利用したギャラリー空間、地域のコミュニティを受け入れる1階のダイニングや前庭など、「住居を超えた人が集まる場所」となっているおおらかな空間の使われ方、またそれらに対応できる熱利用についても言及された。
2階の空間が大きくつくられた理由について、「本当のところは設計した自分もまだ分かっていないが、大きくないと駄目だということは、建て主も自分も実感として理解している」と語られ、今後の空間の育ち方に興味を持ち続けていることも述べられた。

講評

一次審査の書類を見ていた時と、現地で見た印象がいちばん違った作品でもありました。特に印象深かったのは、敷地の周りのあらゆる環境を全部味方にしているところです。特にそれが断面に象徴的に表れていて、1階は庭と地続きというか、少し掘り込まれたような状態になっていて、しかもものすごく天井高が低い。どちらかというと座って過ごすのに程良い空間です。そこにいるともちろん周りの庭と一体になった環境を体感できたり、あるいは食堂を介して地域とつながっていたり、さらにはギャラリーを通じて街の活動が家に入り込んでくる感じがあります。一方で2階に上がると、断面的な違いが大胆で、ものすごく天井高もあって、つながりは更に遠くの海や森にまで広がっています。環境と言っているものが、単に温熱環境や空気環境だけではなくて、その地域の営みやコミュニティ、あるいは背後に広がる森や海、あらゆるものが次々と味方になって流れ込んでくるような印象を受けました。
もうひとつ行った時に実際に見て記憶に強く残ったのは、この家には完成形がなく、ずっとつくり続けていることです。ひとつの明確な完成形を目指していないデザインのあり方が、その後のさまざまな改変を誘導している点も魅力になっていて、それも建て主のライフスタイルにうまく合っているのではないかと感じました。

海と鎌倉の独特の土地の風景や、森がどうできるのかということを全部読み込んで、どういうふうにするかを考えておられるという印象が非常に強かったです。それも、建て主自身がこの場所を相当時間をかけて見つけて、こだわられていたのですよね。そういうことに対して、先ほど直島に行かれたという話がありましたが、たぶん藤原さんが設計した際に、仮に自分がここに暮らすとしたらどうなるか、いろいろなことを考えてらしたということがとてもいいなと思いました。1階の天井高が低くて、そこにある椅子や机も少し背が低く幼稚園にあるようなものに近いような感覚があるのですが、そこに座っていてとても快適で、1時間か2時間このままじっといてもいいのではないかなという不思議な感じがします。ところが今度2階に上がると、天井高が非常に高くてスポンと抜けてる感じで、その違いもおもしろかったのと、普通はたくさん人が来る場所が大きな空間で、プライベートとかはすごく小さなものだったりするのに、ここは逆なのが僕は非常におもしろいと思いました。
先ほど、気積が大きいので輻射でとおっしゃっていましたが、少し助言をさせていただくと、冬の煙突の輻射は相当効くのでいいと思います。けれども夏は北側というか森側から冷気を送る方法もあると思います。網戸を貫いて入ってくる冷気が有効なのは、先ほども言ったことにつながりますが、緑は水を蒸発して表面温度が低いからなのです。一方、南側の2階にある海が見える「はめ殺し」の大きな窓は、すごく表面温度が高くなります。その外側に取り外しできる日除けを付けると、通風の効果が相当効くはずです。そういうことを、この建て主だったら絶対やるでしょうし、実際にやったらきっと気に入って、SNSで発信してくれるのではないかと思います。

大変いい住宅だと感心しました。他の2作品はいわゆる住宅街にあるものですが、これは鎌倉なので自然が豊かです。通勤圏だということで、都内に勤務されています。面白いのは、建て主が住宅の敷地の裏の4千㎡くらいある森を管理する権利を持っておられ、薪ストーブで使う薪を裏の山で取ってきていて、それを使って暖を取っている。つまりエネルギーにしている。そういう地域の自然を自分で育んだり、これから手を入れるという話もありましたが、それらを育てながら資源として生活に使っていくという暮らし方があるのだなと関心を持ちました。
作り方が非常に鎌倉らしいというのかおおらかで、環境建築はガチガチになってしまうイメージがありますが、自然体でやられているところが非常に印象的な住宅でした。

総評(ディスカッション)

最終審査に私も立ち会わせていただいて、審査員の先生方のディスカッションがとても素晴らしく、それをぜひ今日来られた方々にもお伝えしたかったのです。
先ほどグランプリ1作品、準グランプリ2作品の併せて3作品について、設計者の皆様から発表していただきました。審査は非常に難航しましたが、この総評では、まずは3作品からどのようにグランプリが選ばれたのかをお聞きします。
3作品それぞれの特徴があって、とても同じ土俵で評価するようなものではなかったと思います。住まい手の置かれている条件も違えば、提案するものも違う。そういった中で、グランプリの「五本木の集合住宅」に票を入れられた先生方にうかがいます。
東先生はこの作品をグランプリとして推されていましたが、どのような点を評価されたのでしょうか。また、僅差だったとは思うのですが、なぜ他の2作品ではなかったのか、そのあたりをお聞かせいただけますでしょうか。

やはり実際に見ているか見ていないかが大きく影響したのはありました。またお話を直接聞いているかいないかが少し左右したところもあると思います。実際にはこの3作品が最後に残っていて、本来、準グランプリは1作品の予定でしたが、2作品に増やしたのです。それくらい僅差でした。どの作品をグランプリにするのか話し合いましたが、誰もがこれが絶対と推しきれずに、最後はもう投票で決めるしかないということで、挙手をして決まったのです。
私が最後に「五本木の集合住宅」をグランプリに決めた理由は、細かなところまでを見ることができたというのがひとつ、最初の一次審査の段階では私自身は「稲村の森の家」に票を入れていましたが、「五本木の集合住宅」の方が環境面や暮らし方などの提案が分かりやすかったことが票を入れた理由です。
分かりやすさと何を主点に取り組んでいるかを重視して決めました。そういう意味では「観察と試み」は、説明とストーリーがないと、単なる改修として見られてしまう。住む人の理解もなければ、形としてはあまり分かりやすくないかもしれないということがあったように思います。
それから「稲村の森の家」は、とても快適で気持ち良さそうだということで、実際に見に行けたならひょっとして気持ちが動いたかもしれませんが、票を入れるためのひとつの視点、おそらく環境の部分の分かりやすさのようなところが、もうひとつ私には伝わってこなかったように思います。

ありがとうございます。全部の作品をご覧になられたのが末光先生です。今、東先生が「見る、見ない」で変わったと言われましたが、実際、3作品をご覧になられていかがでしたか。

本当に甲乙つけがたい接戦でした。興味深かったのが、3作品とも私とほぼ同世代の建築家の人たちで、ある時代の空気感というのを取り入れているのかと思います。その3作品の共通点が、都市や自然環境に対してある信頼を置いていて、そこに開くもしくは参加していくという意思を感じられるところでした。いわゆる環境建築というカテゴリーでいうとすごく外に閉じてスペックを重視していて、どうやって少ないエネルギーで過ごすかという話だけになってしまいがちですが、そうすると建物の街に対する振る舞いが非常に乏しいものになっていくと思うのです。
ところがこの3作品には、街に対して何か振る舞いをするという姿勢が共通してあり、どれも評価できると思います。その手法は3人とも違うので甲乙つけられるわけではないのですが、ちょっと面白い議論があったのは、3つともある種、離散的というのかいろいろなエレメントが集合するような作り方をしているのです。そういったものが全部説明可能でなければいけないのか、もしくはもうちょっとおおらかにまとめていいのかというお話が千葉先生から出て、「稲村の森の家」のほうが少しおおらかにつくられているのではないかという意見だったのですが、私は、「五本木の集合住宅」も必ずしも説明的なものから生まれたものではないと感じました。
建築家は自邸だとつい自分の作風を押し出してしまいがちですが、ここはブリコラージュ的にいろいろなやりたいことが集められていて、そのことが結果的に街に対して開いていることにつながっている姿に共感して、僅差だったのですが、最後は「五本木の集合住宅」の方を選びました。

千葉先生は「稲村の森の家」に、最後に票を入れていらっしゃいましたが、今のコメントも受けて何かございますか。

本当に僅差でこのような結果になりましたが、末光さんからちょっとお話が出た「説明可能性」ということについて先にお話しします。環境的な取り組みは、さまざまな形で計測可能なものもありますし、説明がつきやすいものが多い。そういうことが積み重なっていくのは非常に大事なことで、それがひとつの知見になり、建築を評価する軸にもなっていきます。でもそれだけでいいのかと僕は正直思っています。今回はたまたま世代が同じ設計者の方々が多かったのですが、みなさん説明が非常にうまいのです。ですからあらゆることが丁寧に説明されて、いろいろな形や判断にすべて理由があるという印象です。今の時代、あらゆる場面で建築を説明しなければならない局面がたくさんあります。ワークショップの開催が義務付けられていたり、住民の方々に向けた説明会も多い。このようにいろいろなところで建築について説明する場がたくさんあります。そういう中で、環境というのはひとつの重要なファクターです。でも本当にそれだけで良いのかと思うところもあります。たまたま先ほど藤原さんがプレゼンテーションの中で、「自分でもよく説明できない」とおっしゃったのですが、僕は説明できないところがあっていいのではないかと思うのです。
それは、建築の設計は後から気づく、後でその意味が分かって、そこに新しい価値を発見したりすることもたくさんあるからです。その行ったり来たりが、建築の設計の一番面白いところだと思うのです。何だかよく分からないけれどもこういう判断をした。それが後になって極めて大きな意味を持つことは、おそらく多くの人が経験していることではないでしょうか。審査の後、環境についても同じような側面があるということを宿谷先生から伺いました。僕にとっては、そういうところこそむしろ期待を掛けたいところでもありました。「稲村の森の家」はそういう意味で、見に行ってもよく分からないことが、正直たくさんあったのです。例えばこの庇はなんでこんな形をしているのだろうというように。でも全体の構成原理ではよく分からないところがあっても、何かそれらが非常に魅力的な場をつくっていて、そういうことが建築の新しい可能性になっていたので、僕は最後に「稲村の森の家」を推しました。

いま千葉先生から「なんとなくこういうものだ」という環境もあるというお話がありましたが、最後に「環境とは」というお話で宿谷先生にまとめていただけますでしょうか。

説明できないという話は僕もすごく大事だと思っています。説明できるということは、脳が働いているわけですね。脳は大体重さでいうと1,400gぐらいだと説明できます。僕たちの身体の皮膚の感覚、皮膚の表面のちょっと下に神経の端末があるのですが、その厚さは大体約0.1㎜で、体表面積は人によって大きい小さいがありますが、だいたい1.7㎡ぐらいです。それで人間の皮膚の密度を計算するとやはり脳の重さは1,400gぐらいなのです。僕らは何でも脳で考えていると思っていますが、じつは皮膚の感覚がないと脳は働かないということは、神経生物学で分かっています。大火傷をして、皮膚が戻らない人は意識が戻らないという症例もあるぐらいです。そうすると、僕らがなんかこうモヤモヤしながら3作品の中から最終的に1作品に絞らなければならないといった時に、最後はもう直感だったりします。でもその直感に説明もちゃんと備わっていることがたぶんすごく大事です。
今言ったことを、僕の環境の分野にあてはめて考えてみると、数値は「数の値」と書くので正しいと思いがちですが、それは数値ではなくて単に数字であり、体感が切り離された状態で負荷はこれくらい、エネルギーの使用量はこれぐらいといったことばかりになったのでは、実はおかしなことになるのです。おそらくそこのところをもう一度見直すことが大事で、このアワードもそれをみんなでやる機会になったらと思います。

宿谷先生のお話にありましたように、「皮膚で考える住宅建築」というものも、これからの環境デザインのキーワードになっていくのかもしれません。
まだまだお話は尽きませんが、本日のディスカッションはこれにて終了となります。どうもありがとうございました。